かしないはんしんだいしんさいかんとうせかいかくちおおいっかんくにとしけいかくけんちくぼうさいたようきょくせだいがいかんとうじしょうさいかんがなにはんしんあわじきょうきょういまつたおそひょう ごきかんけんなんぶしょうがつこうあわじこうえんこうべこうしんさいじしんせい1917ちゅうおうくりつしょうがっこうりょうひんけんこうべしながねんがつおおひとびときょうくんこうえんいひびさいいちうしなこうえんこうえんかくちじょ したいせつみらいとおとおゆうきこうせいぼうさいがんねんひさいにほん ぜんこくおおとうとうきょうねんへいせいがんねんしょうにちがつまいねんかんてんもとがつにちこうしゃぜんたいさいようしゅうかんかくこうかつやくがくせいじぶんみ ぢかこうべこうひょう ごやくつたつよじぶんとしじちよじたといひちひとくのかしくだ)ばに市はばひごりくくわかうごくにへひにひひとうきょうしょうどおひさいじかんせんどうろげんざいきょくこせいてきひがいまわすすじょういちゆうきおうけんこうべしちゅうさいひびのこひとこうえんこうえんしょうやくわりちかだいとうけんせつさん震災の恐ろしさを後世に伝える貴重な史跡の一つです。ゆうきどうろゆうきまちむすじゅうげんざいどおせいびとうきょうちかよんことばしゃおくど ぼくがっかい ふ ぞく ど ぼく と しょかんごひょうたいとうしょわどおたいしょうどうろいちねんかんとう関東大震災から一年復興めざし中央区立泰明小学校長田たく区) (り通靖国の期初和昭千代田区[提供:土木学会附属土木図書館]飲み物を被災者に渡す子供ボランディア(兵庫県神戸市)〔平成7(1995)年1月24日〕 避難所で食料などを配る子供ボランティア(兵庫県神戸市兵庫区) 〔平成7(1995)年1月25日〕昭和6(1931)年開園の隅田公園 (墨田区・台東区)[台東区立下町風俗資料館所蔵]ものひさいしゃわたねんがつへいせいしょわしょきしょくりょうじょなんねんがつへいせいしょたいとうくりつこどもひょうごけんこうべやすくにどおちよていきょうくばこどもひょうごけんこうべしにちねんかいえんすみだこうえんすみだくしょぞう47ボランティア元年~自分にできることから~防災に強い都市づくり神戸港震災メモリアルパーク社総総社▶復興小学校 阪神・淡路大震災の被災地には、日本全国、そして世界各地から多くのボランティアが駆け 関東大震災では、当時の東京市内の小につけました。そこで平成7(1995)年は、日がつこう学校の多くが倒壊・焼失しました。被災事ほん本での「ボランティア元年」と呼ばれるようにがっこうぎょう業の一環として建てられた復興小学校は、ぼうなりました。また国は、毎年1月17日を「防てっきんぼうさい防災や都市計画の観点に基づき、鉄筋コさいにち災とボランティアの日」、1月15日から21日さだンクリート建築を採用し、校舎全体に曲を「防災とボランティア週間」とすることを定めんせん線や曲面が多用され、各校ごとに個性的めました。 当時、あらゆる世代のボランティアが活躍しなデザインの外観が取り入れられました。ましたが被災地の小学生たちは、自分にできることは何かと考え、身近なことからすすんでボランティアに取り組みました。▶復興公園しんさい 多くの人々が逃げ場を失い犠牲となった震災の教訓から、隅田公園、浜町公園、錦糸公園のさんだい三大公園をはじめ、各地にたくさんの小公園ががくせいおく送られてきた衣料品などを整理する女子学生つくしみんひょう作られました。普段は市民の憩いの場として、( 兵庫県神戸へいせいにち〔平成7(1995)年1月30日〕 ばしょさいがいじ災害時には避難場所としての大切な役割を果たしています。防災トピック 阪神・淡路大震災では、神戸港は壊滅的な被害防災トピックを受けました。その後、復旧・復興が進み、周りの状況はすっかり変わりましたが、兵庫県神戸市中央区にあるメリケン波止場には、被災したあの日のだいさい 過去は日々に遠くなる、未来は日々に近くなる、一日を経れば一日だけ大災じょう状況を今に伝える岸壁が約60mにわたって残されきょうがい害を被ったのは遠くなるのである、壮美な大東京建設の日には近づくのである。ています。 ゆう 此の際は一にも勇気である、二にも勇気である、三にも四にも何にも彼にも勇き気である。(幸田露伴「震災者に贈る言葉」)▶復興道路 東京の町を十字に結ぶ昭和通りと大正通り(現在の靖国通り)をはじめとして、幹線道路が整備されました。復興道路は、現在の東京の動脈ともなっています。「一に勇気、二に勇気・・・」〈兵庫県南部地震〉行政機関による「公助」
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