防災ノート_311を忘れない_小学校
7/59

ちょう死し者しゃ・行くゆ方えにほんだいしんさい不ふい明め千せん三さん百びゃく四よひがし十じゅう九きゅう人にんししゃやくななせんにんさんじゅうにあんせいとうかいじしんししゃにさんぜんにんししゃやくいちまんごせんにんくにさいだいきゅうししゃにまんにんいじょうかわさきししゃさんまんにんいじょうえどじしんげだふんかげんろくじしんししゃごじゅうはちにんゆくえふめいごにんぜんとうみんししゃよんじゅうにんゆくえふめいさんにんひがしにほんだいしんさいわさんねんさんがつここのかげんざいとうがいししゃゆくえふめいよんじゅうよんにんれいぶりとうほっかいどうへいせいさんじゅうねんしちがつごうふほくおおさかしんげんへいせい じゅうきゅうねんしちがつきゅうしゅうほくぶじしんしんごうう じしんじしん江戸地震(死者約七千人)M7.0かいがんM7.1宝永地震(死わ者が二国万最人大以級上の地震の一つ)M8.6            元禄地(震死川者崎三か万ら人小以田上原までほとんど全滅)M7.9M8.2慶長地震(津波による死者多数) M7.9じかんごじしんひとだわらぜんめつししゃたすう死者約一万五千人 死し令れ者いし和ゃわ・ 二 に行ゆ年ねく方んえ十じゅ不うふ月が明つめ十じいゅ百ひうゃ三さく二んに日に十ちじゅ現げう一んい在ざち人い) じおおふと え))))でちかあしじじじしり))きじちかえかじごおえよでじも わいぶにじ(  じうぶ( )う火かなど、さまざまな自然現げん M7.8ちょくしんりょうたいみんかんおおひとびとしんえどじゅうまわしんねんねんねんねん眉ゆま山まやの崩うほ 壊いかに よ り津 つ波な みが発 はっ生せ い)   つくばむらへいせいだいがくぞくねんねんねんねんねんねんねんねん死しし者ゃ・ゆ行く方え不ふめ明い 二にしま万んしねんへいせいし年 )7002(91成平[)市二にゃろせ千くんじさ三ゅんうは百びゃちくさに三んんに人ん(れ令い和三年三月九日現在)ち くねんねんねんねんねんねんねんねんねんねんあ こがつさつえいねんせい2011年1995年平成  7年( )へい平成  23年( )へいせい平兵 へほひ(ょいっう庫成か死せごしいい県者けし二どゃんに六うとろ南なく十なう千じせんゅ部んほう四ぶ三よさせくん地百んじひ年ゃねちおく三〈震さしんん台十んほたじゅううい四阪はよ風ふんた人にう神しんい第)だん・へい十淡いあじよゅわ路う二うじかじょうじにお地ばんがゆるむ液状化大だ号(ごきいう震しん災さすいぶんじ行死ゆしいく〉方者しえ M7.3ゃ不八はふち明十めじP.38ゅいう十三さじゅんう五人にごん人にんあんせいあんせいにほんだいしんさいひがししんえきじょう か液状化の影響を受けたマンホール(千葉県浦安市)へいせい[平成23(2011)年 東日本大震災](出典:浦安市「浦安震災アーカイブ」)しゅってんうらやす1855年 安政(  )2年あん2018年平成  30年( )へいせい(大死し者阪しゃ六ろ府く人に(ん北 平へい部成せい三さをん十じゅ震う一いち年ね源とくん四しと月がつす一つい日たるち現げん地在ざい)震)2018年平成  30年( )へいせい(平死し者成しゃ・ お三 行ゆく十方え不年ふ明めい七二に 百ひ月ゃく七なな豪ちゅうい十じゅう一い雨ち人にん  平へい成せい三さん十じゅう一いち年ねん四し月がつ一つい日たち現げん在ざい)せいかさいちばけんうらやすしにほんだいしんさいひがしねんうらやすしんさい1703年元禄(  )16年1993年平成  5年( )へい(北海道南ん西い沖き地震2000年平成  12年( )へいせい三み宅やけ島じま噴ふん火か(全島民がいしかわけん島外に避難)おおP.40にっぽんだいさいがい1854年 安政(  )元年安 あん政せい東とう海かい地じ震しん M8.41854年 安政(  )元年(安あん政せい南なん海かい地じ震しん2013年2011年2014年平成  25年平成  23年平成  26年( )へい( )へい( )へいせいせいせい御ん平平へへおいい嶽け成成たせせいい山ん二二さにに十十噴ふじじゅゅんうう(五三火さかごん年年ねねんん行死台台たた方者いい風風ふふ不五うう明十第第だだはんとうおきじ能登半島沖地震]五八いい二十じ人人にゅう十五 じごゅう六号(ごろうく号(ごう行死ゆ 砂や水分を多く含むような地ばんは、しく方者しえ行死ゃ不十ふじ方者じしんゅう明八地震などのゆれによって、泥水のようなめは不四いち一人にひ明十んと人じょうじょうえきり三人状態になることがあります。これを液状)P.43人か化といいます。液状化によって、建物が傾いたり、マンホールが浮き上がったりすることがあります。また、地中に埋めびられた配水管、下水管などの大切な設備に大きな被害が出ることもあります。げんろくけ いちょうつなみていきょういわてけんせいせいP.55み やけじまふん かしょうわえど じ だ い● 赤字(筑波大学附属図書館所蔵)]災震大本日東 )1102(32成[平あかじかんとうさいがいねんねんがん ねんがん ねんしょかんしょぞうねん年ねんねんねんねんねんねんは、関東で起きた災害です。● 発安はっ生政せい 東死海し者地ちばけんし千葉県市原市のガスタンク火災[平成23(2011)年 東日本大震災]ゃ数震すう千のせん人三にん十二時間後にあかまるないすうじかんれんねんねんねんねんねんねんねん赤丸内の数字は、関連ページを表しています。あらわねんねんねんねんねんねんねんねんがんねんねんねん 三宅島噴火による溶岩流(阿古地区)〔昭和58(1983)年10月撮影〕1991年平成  3年( )へい雲うん仙ぜん普ふ賢げん岳だけ噴ふん火か(死者・行方不明四十四人)1707年 宝永(  )4年ほうほうえいじしん2004年平成  16年( )へいせい新にい潟が奥く津おたつ県尻り波けしなみん島を中とうで観んか越つ最測くさそい大地だ死いし10 m者し震ゃ二(に超百死ひのゃく二者じしんに地震によるがけくずれ(石川県輪島人に六ん十八人) M6.82011年平成  23年( )へいせい3.11東北地方太平洋えき沖地〈震東日本大震災〉M9.0えいせいP.41P.48P.49ようがんりゅうれいめい  じ じ だいじしんきょうつうご 地震直後から、なまず絵と呼なみばれる錦絵が大量に江戸中に出回りました。なまずが暴れると地震が起きるとの民間信仰があり、地下の大なまずを描いたものです。いのち人々は、この絵に地震封じや厄除けの気持ちも込めたのでしょう。すすはやちからつよおお防潮堤をこえる津波(提供:岩手県野田村)平成時代P.431910年明治  43年( )めい(明めい治じ四よん十じゅう三さん年ねん関かん東とう大だおおなみい 地震などが原因で発生した大波M8.4水すい害がつなみ)P.83が、海岸に押し寄せるのが津波でいせす。「TSUNAMI」として世かいつなみ界の共通語となっています。津波は、波の進む速さがたいへん速く、にほんその力がとても強いため、東日本だいしんさい大震災でも多くの尊い命をうばいました。さいかP.50P.51どうろかさいはっせいじょうえきちゅうたいせつせつげ すいかんはやひがしれい わ じ だ い79おおあめじ しんか ざんたてものたかへ い せ い じ だ いすなたいはいすいかんひがいおおしぜん象しょうが大きな被ひ害がいをもたらしてきました。おおたてもの明治時代1896年1902年明治  29年明治  35年( )めい( )めい伊明めい(い豆治死ずじし者鳥三んしとさゃ約りや陸く島くし二にま万へいせいねん噴地まふじん二んに(火震し千かせんんつなみ津人に津波つん)全死ぜ波しなん島者しみとゃう民百M8.2ひみげんいんはっせいゃんく死二しに亡十じぼP.54ゅうよう五ご人にん37大雨、地震、火山の噴ふん火災 さまざまな建物や道路などに被害が出ることで、火災が発生するおお1605年1792年危険が高まり、より被害が大きく 寛政(  )4年かん慶長(  )9年(なっていきます。雲んけうい仙んぜちょう普ふじ賢んしん岳けつ噴なみ火   江戸時代がけくずれや地すべり2018年2017年じしんねん平成  30年平成  29年( )へい( )へいせいせい((北平死死しし者者成海ししゃゃ・四よ じ道二 ん行十ゆじゅくう胆十方三さえんおお不人に振九ふ(ん明め平いへ年東四よい成んせ十じい七部ゅ三さう四んよ十じ月地ゅひつよう人じにう一んい 九震ちし年 ねん平へん州四いし成せ月いが北三さつ一んつ十じい部ゅ日たう年ねち現んげ豪十じんゅ在ざう月がい雨))つ三さん十じゅう一いち日にち現げん在ざい)令和時代2019年ねん2016年じ 地震のゆれによって、地ばんが令和  元年平成  28年( )へい( )わせい(熊く令死ゆるんだりくずれたりして、がけくまし本しも者和ゃと二地ひとに元がじずれや地すべりが起きます。人や百ひんゃ震しく年ね七ななんんくるまひがいいえ十じ車、家が埋まるなど、大きな被害台ゅたう三さいん風にふ人(しょうんうが生じることがあります。がけや第へだ平いいせ成十いじさかちかゅさ三坂の近くでは特に注意が必要です。うん 九きじ十ゅゅうう一い号ごちう年ねん四し月がつ十じゅう二にに日ち現げんざ在い))理社理社  〈日本の大災害〉火災・津波・がけくずれや地すべり・液状化)

元のページ  ../index.html#7

このブックを見る